固定残業代・定額残業代制度についての一考察


 この固定残業代・定額残業代制度とは、一般には、現実の時間外労働の有無や長短に拘らず、一定時間分の残業代金を予め定め、これを労働者に支給する制度と定義できるのではないかと思います。そして、この固定残業代・定額残業代制度(以下では単に「固定残業代」ないし「固定残業代制度」といいます。)のメリットとしては、一般に①会社の事務処理上の負担が軽減されること、②未払残業代請求の抑制になるという点が指摘されているようです。
 しかし、本当にそのようなメリットがあるのかはかなり疑問があります。
 というのも、後述のように、固定残業代制度というのは、固定残業代を上回る時間外労働をした場合には、その差額の清算が必要になり、その切り捨てを容認する制度ではないため、結局、きちんと時間外労働時間を管理する必要があるので事務処理がどこまで軽減されるのか疑問がありますし、また、清算が必要な以上、残業代の抑制効果もどこまであるのか疑問だからです。残業代の抑制は、固定残業代という制度によるよりも、労使双方の意識を変えるほうが効果的なのではないかとも思われるのです。その上、判例によれば、固定残業代制度の有効性はかなり厳しく判断されるようになってきています。
 すなわち、一般論としては、固定残業代制度自体は、労働基準法37条等所定の時間外手当を上回っている範囲では制度自体の有効性は否定されていません(関西ソニー販売事件・大阪地判昭和63年10月26日 労判530号等)。
 しかしながら、すでに指摘したとおり、固定残業代制度は、固定残業代中の割増賃金にあたる部分の金額が労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回るときは、使用者がその差額を労働者に支払う義務を免れさせるわけではありません。
 そのため、最高裁平成24年3月8日第1小法廷判決(集民240号121頁、判タ1378号80頁)や同最高裁平成29年2月28日第3小法廷判決(裁時1671号59頁、判タ1436号85頁)、最高裁平成29年7月7日第2小法廷判決(裁判所HP)等は、固定残業代制度の有効性を判断するにあたって、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分との明確な判別、及び、判別が可能な場合には、割増賃金として支払われた金額が労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないかのかについての審理・判断を下級審に求めています
 そうすると、判例は、そのような判別や、判別を前提とした割増賃金の支払いがなされていない場合には、当該制度(を前提にした合意)の有効性自体を否定する趣旨と解されるのです。
 このような判例を前提にすると、企業側から良く出される残業代は、「○○手当に含まれている」とか「基本給に含まれている」などという主張は、ほとんど通用しないのではないかと思われます。
 さらに、最高裁の平成24年3月8日第1小法廷判決には以下に引用するような櫻井龍子裁判官の極めて厳密な法解釈を前提とする補足意見が付されており、この影響を受けてか、あまりに長時間残業を予定した固定残業代制度の場合にはそれ自体で公序良俗に反するとの指摘をする裁判例(岐阜地方裁判所平成27年10月22日判決【労働判例1127号29頁、法学セミナー61巻5号125頁】)もみられます。


※ ちなみに時間外労働の限度に関する基準(労基法平成10年労働省告示第154号、労基法36条2項参照)では、原則1か月45時間が限度時間とされています。


※ 櫻井龍子裁判官の補足意見の一部引用
「・・便宜的に毎月の給与の中にあらかじめ一定時間(例えば10時間分)の残業手当が参入されているものとして給与が支払われている事例もみられるが、その場合は、その旨が雇用契約上も明確にされていなければならないと同時に支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならないであろう。さらには10時間を超える残業が行われた場合には当然その所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならないと解すべきと思われる。本件の場合にそのようなあらかじめの合意も支給実態も認められない」「・・・近年、雇用形態・就業形態の多様化あるいは産業経済の国際化が進む中で、労働時間規制の多様化、柔軟化の要請が強くなってきていることは事実であるが、このような要請に対しては、長時間残業がいまだ多くの事業場で見られ、その健康に及ぼす影響が懸念される現実や、いわゆるサービス残業、不払残業の問題への対処など、残業をめぐる種々の状況も踏まえ、今後立法政策として議論され、対応されていくべきものと思われる。」(注:下線は引用者)


 このような実務の状況を前提に考えると、前記のように、いったい固定残業代制度を用いるメリットは何だったのかという根本的な疑問に立ち至ります。
 繰り返しになりますが、判例の解釈を前提にすれば、未払残業代の抑制効果や、事務処理の軽減といった効果は、ほとんど認められないのではないかと思われるからです。
 固定残業代制度は、実際上は、残業代はできるだけ支払いたくないが、残業はできるだけしてもらいたいという企業側の要請から生まれた制度ではないかというのは、私の穿った見方かもしれませんが、長時間残業は、従業員の健康・生命そのものを危険にさらし、他方で、企業に対しても財政的な圧迫をもたらします。それでも残業をしなければ仕事が回らないというのは、なぜなのか。そうしなければスピードの速い社会に対応できないということなのか、他社との競争に敗れるということなのか、日本の長時間労働(不払労働時間)については、以前から指摘されているところですが、日本の社会全体あるいは少し大袈裟かもしれませんが世界全体で考えなければならないことかもしれません。

※ 「類型別 労働関係訴訟の実務」青林書院 129頁は、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とが明確に区分されなければならない(明確区分性)ことを、固定残業代制度の有効要件とはするものの、前記櫻井龍子裁判官の補足意見のいう支給時ごとに支給対象となる時間外労働の時間数及び残業手当の額を明示することを要求する必要はないとして、現時点では有効要件にならないとし、また、超過分について割増賃金が別途支払われるべきことの合意や清算の実態を有効要件とする必要がないとするなど、残業抑制という政策的な観点からは、やや後退した見解が述べられている。


※※ 最高裁平成30年7月19日第1小法廷判決は、固定残業代制度の有効性をかなり緩やかに解しているように思われる。すなわち、原審は「いわゆる定額残業代の支払いを法定の時間外手当の全部又は一部の支払とみなすことができるのは、定額残業代を上回る金額の時間外手当が法律上発生した場合にその事実を労働者が認識して直ちに支払いを請求することができる仕組み(発生していない場合にはそのことを労働者が認識することができる仕組み)が備わっており、これらの仕組みが雇用主により誠実に実行されているほか、基本給と定額残業代のバランスが適切であり、その他法定の時間外手当の不払や長時間労働による健康状態の悪化など労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がない場合に限られる」としてその有効要件をかなり厳格に解していたが、
 最高裁は「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。しかし、労働基準法37条や他の労働関係法令が、当該手当の支払いによって割増賃金の全部又は一部を支払ったものといえるために、前記3(1)【注:前記原審が固定残業代有効とするための要件】のとおり原審が判示するような事情が認められることを必須のものとしているとは解されない」としているからである。
 当該事案は、通常の労働時間の賃金と業務手当(=本件事案では固定残業代と認定)とは区別されうるものの、固定残業代を上回る時間外手当が発生しているか否かを労働者が認識することができない事案であったが、それでも有効としたのである。
 もっとも、最高裁は理由付けの中で「被上告人に支払われた業務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間(157.3時間)を基に算定すると、約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであり、被上告人の実際の時間外労働等の状況と(前記2(2))と大きくかい離するものではない」とも指摘している。したがって、大きくかい離している場合には別判断もありうるのかもしれない。
 固定残業代を超えた残業をしたのかどうかは、労働者側が調査するべきであると読めるこの最高裁判例は、企業側の固定残業代制度の有用性を認めつつ、あまりにも実際の時間外労働時間と大きくかい離する場合は無効とする含みを残して、使用者側のメリットと労働者側の利益の調整を図ったものと評価できるのかもしれない。

 


  
  

 

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