「法的思考」とは何か【司法試験(論文式)を振り返って】

 私が論文試験を意識して勉強しはじめた頃(1986年前後)にも、「法的思考」に関するいろいろな本があったような気がします。ただ、どの本も法的思考とはこうなんだと明確に説明されているものはなかったように記憶しています(少なくとも自分的に納得できるようなものを見つけることはできませんでした)。また、論文試験は、法的思考を試されているのだ、などと言われていても、肝心な「法的思考」がなんなのかわからないまま、自分なりにですが、懸命に勉強をしていました。

 論文式試験(当時の試験問題は、ほぼ事例式になっていました)の勉強をはじめて、最初に、教えられたのは、1 問題提起、2 規範定立、3 あてはめ、という形(型)です。論文式では「書き方」が重要だと指導されていました。今から思うと「書き方」というのは「考え方(の順番)」を表しているからだと思います。そして、2の規範部分の書き方は、「私は○○と解する。なぜなら、△△だからである。理由は2つか3つくらい」でも良いし、「確かに××。思うに△△(趣旨)。そうだとすると○○と解するべきである」でも良いといわれました。しかし、なぜ、そう書くべきなのかについては、あまり教えてはもらえなかったように思います。

 司法試験を離れて、一般的な受験の論文の書き方的な本を読むと、「①結論②理由」のような書き方が書かれているものが多かったように思います。確かに、何が聞かれても、このような形(型)を意識して書くと、論理的な文章になるように思います。

 それはともかく、私の受験生活は長期化していきました。短答式は通るけれども論文式がなかなか通らないということが続いたのです。そのころ、事例問題の論文の書き方については、2の規範定立部分(結論は通説判例でよいと言われていました)よりも3のあてはめ部分が重要だということも言われたのですが、事例式問題の中での1、2、3の関係もよくわからなかったです。

 論文式に対する考え方が変わった転機はいくつかあったのですが、その中で一番大きかったのは、「①原則②例外」(原則→不都合→修正)という発想でした。この「①原則②例外」という書き方も、書き方としては古くから言われていたものの一つだったと思います。

 民法か刑事訴訟法か、忘れましたが、答案練習会で、見たこともない問題が出たときに、①この問題を解決できそうな法律の有無を検討し、②その法律を形式的に当てはめて一旦結論を出してみる、③その結論が何かおかしい。利益考量すると結論が妥当ではないのではないか、④そもそもその規定の趣旨は△△である。そうだとすると○○と解するべきではないか、⑤そして自分が適当に作った規範に当該事案を当てはめて結論を出しました。

 すると、この答案が、自分で驚くほどにかなり良い評価だったのです(ちなみにですが、この書き方の形がピタッと決まった時に悪い評価だったことは以後なかったです)。この全くわからない問題が出た時に(何とか自分なりに考えて書いた答案)優秀な評価だった「書き方」を、わかる問題にも応用するようにしていきました。すると、答案の評価が安定してきて、どんな問題が出ても、一定の評価のラインを維持することができるようになっていきました。この形(型)を覚えたことが、自分なりに論文式が通るのではないかと思うようになったきっかけでした(試験的にいうと、各科目における過去問の答案構成を通じて自分なりの答案の形(型)を作って、どのような問題が出ても、とりあえず自分の形(型)に沿って答案を作るという方法は一つのお薦めの方法です)。

 さて、司法試験論文式の書き方は、実はこのような「法的な考え方のプロセス」を意識的・意図的に表したほうが良かったのではないかと思ったのは、司法試験に合格した後のことです(受験中はあまり冷静に考える時間もなく、論点をつぶしてそれなりの書き方が出来れば何とかなるというのが実際なのではないかと思います)。
 つまり、何かの事例があったときに、①最初にこの事例を解決するための直接の法律はあるのか、ないのか、「ない」場合にはさらに、その上の原則的規範に遡るとどのような結論になるのか、「ある」とするとどの条文のどの「文言」が問題になり、それを適用するとどのような結論になるのか、ということを検討することが、最初の出発点です(ちなみにですが、この最初の結論を導けないということは、司法試験受験者としては、おそらく法的な基礎知識が不十分ということになります)。この段階では特に解釈技術は必要なく、単に文言に当てはめるという形で十分と解されます(強いていえば文言解釈ということかと思います)。なぜなら、立法段階で一定の価値判断のものとに条文が規定されていると解されるからです。
 ②ここで法律を適用した結論が問題なければ、後は、単純に事例を当てはめて結論を出せばそれで良いということになります。しかし、通常、法律の試験問題は、「法解釈」を聞いていることがほとんどです。そうすると、最低限、形式的な結論について、多少なりとも疑問が生じるもののはずです。結論の妥当性に何も問題なければ法的な争点にはならないでしょう。ここで利益考量をするということになります。ちなみにですが、この利益考量する部分については、法律家のみが有するものではないと思われます。むしろ健全な常識を働かせることが必要になります(バランス感覚)。まさに、人間力が試される部分です。ただ試験的に言えば、ある程度事例問題をこなして、それなりの妥当性についての判断力があれば十分と思います。だいぶ以前に読んだので、間違っているかもしれませんが、星野英一先生は、この利益考量により結論を出す部分(価値判断の部分)こそが、実は法解釈の最も重要な部分であると言われていたように記憶しています。
 ③その後に、法律家としての技術的な部分に入っていきます。つまり、既存の法律の趣旨などに遡って条文を解釈して②で判断した結論(価値判断)を導けるのかどうかということです。文言解釈、拡張解釈、類推解釈、反対解釈、立法者意思解釈、目的論的解釈(ただ、厳密にいうと法の目的・趣旨を考慮する解釈技術と単純な技術的解釈手法とは解釈技術の次元が異なると思います)など様々な手法、極端な例では条文を死文化するような手法までもが使われます。しかし、いろいろ考えても解釈的に難しいという場合があります。その場合は、解釈の限界ということで、②の結論を止む無しとするのです。この場合は「立法論」ということで処理します。ところで、三権分立という考え方をベースにすると、この解釈技術中で最も説得力があるのは立法者意思解釈ということではないかと思います。しかし、現実の法解釈においては、立法者意思を離れて現時点における目的論的な解釈が行われることもあります(もっともこうなってくると「立法論」との区別がかなり難しくなるので、あくまで事例解決における法解釈ということだと解されますが、ある種の法形成であることは否定できないと思います。私は、このことは、実は「法」そのものの本質的な発生機序に関わると思っています。つまり、法というのは本質的に個別具体的な紛争を解決するために、その都度「創造」されるという本来的性質があるのではないかということです)。
 ④最後に、自分が出した規範に事例を当てはめて結論を導くという形で終了となります。

 今となって思うことですが(あくまで私の個人的な見解ですが、問題を通じて実践的に考えたことです)、このような「一連の思考プロセス」をもって、「法的思考」というのではないかと思っています。少し、補足しますが、この思考プロセスの中で、④の当てはめの部分の結論が、法解釈の前提となっている利益考量の部分(価値判断)と同じことをしていることに気づくと思います。つまり、法解釈は、実は、結論の妥当性の判断が先行しており(結論を先取りしている)、その事例に対する価値判断が法解釈という技術的な処理を導いているということです(その意味で、佐藤幸治先生が言われる「司法」が受動的な機関というのはまさにその通りだと思った次第です)。
 「法的思考」は、事例に対する妥当性判断と法律技術的解釈(法的安定性)という要素によって形成されていると思うのですが、それは前記のような「思考プロセス【考え方の順番】」によって形成されていることが肝なのだと思っています(我妻栄先生の「法律における理屈と人情」というのも、まさにそのようなことを言われたものであると個人的には思っています)。つまり、①当該事件における生の利益考量から導かれる妥当性判断に基づく結論(具体的な価値判断)を、再度、②法的安定性の見地から篩(ふるい)にかけるという思考プロセスということです(法的安定性というのは、突き詰めると「過去」において紛争解決基準として妥当と判断された抽象的な価値判断との整合性のことと解される)。法的思考を一言でいうならば、個別具体的な紛争における妥当と思われる価値判断を、再度、過去に妥当だと思われてきた価値基準(歴史的な英知)と整合するのか、確認、調整しながら、紛争解決を図るという一連の思考プロセスのことではないか、といえるのではないかと思います。つまり、単純化すると「二段階の思考」(言い換えると慎重の上にも慎重に考えるという思考方法)ということになると思います。ちなみに、立法段階の法政策論で問題になる法的思考と事件処理で問題になる法的思考の違いを強調する見解もありますが、現段階での妥当な解決を導くための価値判断と過去から積み上げられてきた全体的なバランスから導かれる価値判断を突き合わせて結論を出すという意味では同じではないかという気がします。
 もっとも、これが最高法規たる憲法レベルの話になってくるとかなり微妙な気がします。一般的な法解釈のレベルでは生の利益考量から導かれる結論がどんなに妥当でも、憲法を頂点とした法システムにおける法的安定性の見地から立法論として解釈の限界とされてしまう場合があると解されます。しかし、憲法レベルになると、利益考量から導かれる結論と法的安定性のどちらを優先させるのか自体が問題になってしまうのではないかと思うからです。まさに立憲主義という「政治権力を法の枠に抑え込もうとする試み」をどう理解するのかという立憲主義の本質に関わるような気がします。立憲主義の枠組みを柔軟に考えれば考えるほど機動性は高まると思いますが、その分、今まで保護されてきた人権が蔑ろにされるリスクが高まるような気がします。個人的には、このような「鶏が先か卵が先か」のような次元に至った場合に、その正当性を担保するのは、法的思考のプロセス(手続)そのものという気がしています。もっとも、このようなレベルに至ると、もはや法解釈で割り切った解決ができるか、かなり疑問で、むしろ「人間とは何か」、「国家とは何か」、といった人間存在の根本的な問いに至るのではないでしょうか。

 少し話がそれてしまいしたが、最後に、試験的な論文式に応用できるような形で、法的思考を当てはめてみると以下のように言えると思います。
 すなわち、1の問題提起の部分に、①、②の部分が該当し、ここで問題提起をすることになります(この部分は、法的三段論法、すなわち、規範、事実、結論に該当するものと思います)。次に2の規範定立の部分として、③の部分が該当すると思います。形(型)としては趣旨に遡って規範を定立するということになると思います。最後に3の当てはめに該当するのが④の部分です。この部分では②の利益考量ではできなかったより具体的な事情の考慮ということになると思います。ところで、反対説などの考慮ができていないとの意見もあると思いますが、反対説というのは、実際上は利益考量における価値判断の違いから生じるものです。したがって、実際は、②の利益考量の部分で反対説の根拠について、それなりの考慮がなされているので、あえて、反対説ということで記載しなくても、それほど大きな問題にはならないものと解されます。
 ちなみにですが、各科目ごとに若干の書き方の特性があるように思います。刑法でいえば、構成要件該当性、違法性、責任という流れの形、客観面から主観面という流れの形が重要だと思いますし、憲法は最終の授権規範という点や人権というのがある種究極の利益考量的な意味を有する点で他の科目と違うような気がしておりました(ただ、憲法に関しては最後まで十分な形(型)を作ることができないまま受験生活は終了になりましたが)。

※ 実際の実務においては、前記のような法的思考力だけではなく、「事実認定能力」とでもいうべき技術が極めて重要と解されます(むしろ、実際の事件においては「事実認定」で結論が決まってしまう事案のほうが多いように思います)。事実認定能力は、法的判断に必要な事実(要件事実等)を抽出して認定していくという意味で、法曹三者それぞれの立場で重要と解されますが、もっともその能力が要求されるのは、当然ながら裁判所ということになると思います。言うまでもなく、事件の当事者本人たちは、「事実」として何か起きたかを知っており、誤った事実認定は、正直者が馬鹿をみるという結果(逆に嘘をついた者は司法を軽視する)を引き起こすことになり、深刻な裁判不信をもたらすからです。その意味で、神ならぬ人間が事実を認定する以上、謙虚に、かつ、慎重に事実認定を行う必要があります。殊に、客観証拠が少ない場合には、慎重の上にも慎重に検討し、それでも認定できない場合には、立証責任で決するしかないということです(安易に立証責任で決することは厳に慎むべきですが、謙虚に立証責任を用いることは恥ずべきことではないと思います)。その意味で、裁判は妥協の産物ということができます。
※※ もっとも、事実認定も客観証拠がない場面(あるいは客観的証拠の評価が問題になりうる事案)においては、解釈者の価値判断が先行して事実認定しているというような場面も多々あるように思います。つまり、法解釈と相まって裁判官が導きたい結論に沿うような形で事実認定されていくということです(実務においてはしばしば経験することです)。そのため、事実認定の場面ですら、事実認定者の価値判断と切り離すことができないので、なおさら、謙虚さが必要になると思うのです。ちなみに、このように事実認定自体も法解釈者の価値判断と切り離すことができないという現実をみると、広い意味では、「法的思考」には、事実認定の技術自体も含まれるといえるのかもしれません。
  なお、いわゆる名裁判官というのは、法解釈もさることながら、事実認定が巧みな裁判官のことをいうのではないかと思っています。感覚的な話ですが、裁判事件の6,7割は、誰が裁判しても同じような結論の事件です。客観証拠が少なく事実認定が困難な事案に対して、どのような認定をするのかで、裁判官の能力が問われるような気がします。一般論的にいえば、事実認定をする第三者(裁判官)も人間であり、その人間的な自分自身の経験からくる「思い込み」に引っ張られるという側面がどうしてもあると思われます。そのような「思い込み」をできるだけ排除して、冷静に公平な第三者として事実認定するのは、かなり難しいことではないかと思います。当事者主義や弁論主義の限界のもとで、裁判官のみに事実認定の責任を負わせることはできませんが、一つ一つの事件に真摯に向き合う裁判官であって欲しいと思っています。

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